第一回はこちら。
これまでのあらすじ
15歳の誕生日に、アンジュ姫は悪魔の策略によって呪いの剣を手にしてしまいます。
呪いに立ち向かうためには、謎多き遺跡ソルデンクラウンへ向かうしかありません。
姫はソルデンクラウンの聖堂に着き、呪いに立ち向かう手段として《神への嘆願》についての知識を得ることが出来ました。
探索
6回目:Six of Coins
姫はゆっくりと立ち上がり、乱れた髪を整えました。少し離れた場所に転がっていた《国食らいの剣》をいつの間にか自ら手に取っていた事に気が付きますが、もぎ離すことは諦めざるを得ませんでした。
呪いとは、逃れられぬゆえに呪いである。
悪魔の嘲笑が、耳元で聞こえた気がします。姫はかぶりを振って、書庫を出ました。
聖堂の壁が古びた天幕で覆われていることに、姫は気付きました。かつては美しく精緻な布であったはずのそれは、年月の中で風化し、硬くなり、よれて、ぼろぼろの足を無数の首吊り死体のように石壁の上に垂らしています。どのようなモチーフが織り込まれていたのか、いまやうかがい知ることはできません。
姫は剣を下げたまま、石造りの壁へ近づきます。
その時、開け放たれた聖堂の窓から、さぁっと風が吹き込みました。それは絡み合った繊維の塊へ滑り込む様に吹いて、それを捲り、踊らせます。
その下から、隠されていた小さな扉が現れました。金属で補強された頑丈なもののようですが、朽ち果てて崩れ、錠前も用を成していないようです。
姫は少しだけ、嫌な気持ちになりました。その扉は聖堂に未だ残る神々しい雰囲気に似つかわしくない、どこか冷たく厳重なものを感じさせたからです。
「隠されていた? それとも……隠れていただけ?」
姫は小さく呟いて、朽ちた扉を開き、その奥の暗く冷たい通路へ消えていきました。
7回目:Three of sword
通路は狭く、暗く、冷たくて、裸足の姫の足は凍り付きそうです。石の表面が磨かれておらず、天然石のざらざらと粒立つ結晶質が突き刺さるようでした。
暗闇に肩を抱かれたまま、姫は息を呑んで進みます。狭い通路の先は、より深い闇に満たされた空洞へ繋がっていました。
まず耳に飛び込んできたのは、恐ろしい呻き声でした――
そこには、一片の神聖さもない、悍ましく醜悪な光景が持ち受けていました。
姫の胴をゆうに越えるほどの太さがある太い鎖が壁から幾本も伸びて、一体の巨人を繋いでいます。緑の肌、いびつな筋肉、俯いていて顔は見えません。その巨体の下には赤黒い水たまりが広がり、分厚い肉の身震いのたびにぴちゃぴちゃと波を立てます。それはむせかえるほどに生命の実感を込めて、生臭く、鮮烈にしぶきを立てています。
巨人の身体には、銀色に輝く剣が突き立っています。いえ、今まさに突き立っていきます。長い刃が緑の皮膚を破り、食い込んで、肉を裂き、骨を砕き、臓物を断ち割って、そしてずるずると引き抜かれ、剣は闇の中に忽然と消え失せます。そしてまた新たに現れた剣が、囚われの巨人の肉体を深々と貫くのでした。
巨人の傷は激しく血を流しますが、見る間に塞がり、傷口を閉じてしまいます。忌まわしい不死の呪縛がその生命を支配していることは、目にも明らかでした。
この巨人が、いかなる罪を犯したというのでしょう。
それは見えざる手によって絶えず振るわれ続ける三本の剣による、地獄の責め苦でした。
「なんて、ひどい……!」
姫は思わず声を上げました。
それは、この冷たく悍ましい空間を越えて巨人の耳に届くには、あまりに小さかったようです。
「助けなきゃ」
剣を手に、姫は決意します。
「あの剣を止めるの」
姫の手に構えられた剣が、冷たく憫笑しました。
「お前に出来るとは思えないが」
「いいえ」
姫は刃に映る自分の厳しい顔を見下ろし、はっきりと言います。
「あなたもやるのよ」
「何の義理が?」
「あなたに、望みのものをあげる」
「あの怪物のためにかね」
姫は頷きました。剣はしばらく考え込んで黙り込み、一言、「やってみればいい」と言いました。
…2 Coins toss
…Tail & Tail
それは手痛い失敗だったよううです。
剣を手にひた走る姫は、すぐに三本の剣の注意を引きました。剣は巨人に突き刺さることを止め、その鋭い刃先を姫に向けて飛んできます。剣を構えて刃を弾き、姫はさらに前進します。
二回、三回と鋭い攻撃を弾いて、姫はその太い鎖へ飛びつきます。そして呪いの暗い光を漲らせる《国食らいの剣》を振り上げ、その鎖を断ち切ろうとしました。
その時、姫の身体は呪いによって勝手に操られ、飛んできた剣と打ち合いました。十分素早い動きでしたが、それでも遅すぎたようです――美しいガウンとドレスを深く裂いて刃が滑り、姫の胴へ深く切りつけました。
「馬鹿が!」
舌打ちでもせんばかりに、《国食らいの剣》が叫び、力が抜けていく姫の足を操って走らせます。
姫の細い首を断とうとなおも迫る三本の剣から逃れ、姫は元来た道を駆け戻っていきました。
8回目:Eight of Cups
くたくたに疲れた脚を止めて、姫は朦朧とした眼差しを周囲に投げかけました。
すでに夜が訪れていて、冷たい風が草をそよがせます。草が生い茂り、紫と青の花が無秩序に咲き乱れています。壊れた噴水に水はなく、年月の中で薄れた彫刻に月明りが影を落としています。遠い昔に忘れ去られ、風化した廃園の中央に、姫はぽつねんと立ち尽くしていました。
ぼたぼたと流れ落ちる血が、姫の足元へ溜まります。姫は青白く強張った手で握り締めていた呪いの剣を、ぼんやりと見下ろしました。
「私をここに、逃がしたの?」
かすれた声で、姫は尋ねました。
「我をこの地へ突き立てよ」
剣は答えず、冷淡に指示を飛ばしました。
姫は頷く気力もなく、剣を可能な限り高々と振り上げて、その刃先を地面へ吸い込ませるように振り下ろしました。
下草を千切り、湿った土をかき分けて、鋭い剣が地面に突き立ちます。それと共に呪いの剣に複雑な光の紋様が走り、それは刀身から飛び出すようにして大地へ流れ込みました。
閃光と呪紋が周囲に溢れ、姫と剣を中心に円筒形の壁を作ります。弾ける光が視界に焼き付きます。姫は突き立てた剣へ縋るようにゆっくりと力を失って、その場に頽れました。
ここが安全な境界の中であることが、なぜか姫には確信出来ました――目を閉じて、こうべを垂れ、姫は深い眠りに落ちていきました。
瞼を透かして朝日が差し込みます。小鳥の声が聞こえ、朝露の滴が鼻先を打ちました。
姫はゆっくりと瞼を上げ、湿った髪を押さえて起き上がりました。美しい朝の青空、眩い日差し。出血による消耗は癒えて、手足には力が満ちているような気持ちにさえなります。
激しく瞬いていた魔法の境界は、すでに消えているようです。姫はそっと剣の柄に手を置き、唇を開きかけました。
「ねえ、――」
そしてすぐに口を閉じ、首を振り、微笑みます。
「ありがとう」
剣は答えません。姫は剣を手に、歩き出しました。
9回目:Knight of Wands
庭園のすぐそばに、立派な建物がありました。仄かに青色を帯びたきめ細かな砂岩のブロックで造られ、鋭く尖った屋根が特徴的な、背の高い瀟洒な建物です。姫は靴擦れも癒えている足を進め、その中へ入っていきました。
一階の大部分はホールになっていて、壁沿いに作りつけられた階段が上へと続いているようです。
その広く取られた床の上には、ちらちらと燐光を零す幾何学模様の紋章――複雑な魔法陣が描かれていました。
「これは、魔法の……?」
姫は輝く模様を見下ろして、確かめるように呟きます。
「おや。客人が来るとは思わなかったね」
声は上から聞こえました。階段をゆっくりと降りてきたのは、ローブを身にまとった若い男でした。その手にはまだ枝を付け花を咲きこぼれさせている、若木の杖が握られています。
「防犯用の魔法陣だから、うっかり触るのはお勧めしないよ。ピンクの豚になってしまうかも」
「あっ。あの、勝手に入ってしまったのは申し訳ありません……」
慌てて頭を下げようとする姫に鷹揚に手を振って、若い魔法使いはゆっくりと目を細めます。値踏みをするような、どこか情の薄い眼差しでした。
「巡り合わせというものは大事だ。今日この日、君がこの大魔術師シギルの小屋を訪れた。そのことには意味がある」
「シギル……様」
聞いたことのない名前でしたが、姫はひとまずおじぎをしました。
「はじめまして、魔術師シギル様。私は……」
「言わなくともわかっているとも」
シギルは頷きました。
「君は、私の弟子だ」
>次回へ続く
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