穴を掘っている。
25時、暗い森の中、私以外の人など居やしないのに、誰かに見張られているような視線を感じるのはきっと、静かに浮かぶ満月のせいだ。
雲一つない空で光るそれは、完璧になりそこなった空の傷にも、すべてを見透かし咎める瞳にも思える。
ぼんやりと月を反射するスコップを見ないようにして、穴を掘ってゆく。
塗れた土の匂いだけが、私に優しく寄り添っている。
ぽたり。
スコップが濡れる。
ひとたび決壊すれば、それは止まることを知らない。
絶えず流れるそれを拭えずにいるのは、後ろめたさを感じているから。
視界が霞むのは好都合だ。もう何も見たくないから。
鼻が詰まるのは好都合だ。土の匂いすら信じられないから。
ざくり。
音がする。
私が鳴らした音ではない、私は半ば動けずにいるから。
きっと足音だ。私以外の誰かの気配がする。
息をひそめる。悪魔に見つからないように。
ざくり。ざくり。
月明かりとは違う人工的な光が通り去るのを待つ。
影をじっと見つめる。悪魔みたいな自分の影。
果たして足音の主と私、どちらがほんとうの悪魔なのだろう。
そう思う時点で、きっともう答えは分かっている。
声がする。
聞いたことのある誰かの声だ。
誰かが私を探している。私の知る誰かが。
助けてほしい、きっと大丈夫。あの人ならきっと私を……
いや、そんなはずはない。
私を探す人なんていなくて、だから私はここにいるのに。
誰かの声が何と言ったのか、上手く聞き取ることはできなかった。
これでいい。
何も見えない、何も聞こえない、何も感じない、これが現実なのだから。
私は殺した。とうとうしくじったあいつを。
全てうまくやれると思っていた。断じてそんなことはなかったのだけれど。
よく晴れた夜空だって、満月が浮かんだせいで完璧にはなれないことを知っていたはずなのに。
最後まで救いようのない馬鹿だった。だから殺した。
きっと殺してやるのがあいつにとって一番幸せなのだ。
これは私だ。
この愚か者こそが私だ。
殺して、穴を掘って、そうして、私はここに居る。
あとは全部埋めてしまえばいい。
目を閉じる。
いるはずのない誰かから目を背けたかった。だから目を閉じる。
過ぎ去るのを待つ。
永遠のように思えた。
私は生きている。どうしようもなく生きているから、時間が重かった。
*
そうして私は目を開く。
視界の真ん中で、満月が煌々と輝いている。
問:堀った穴を埋めますか?
これは私の人生の最後の岐路、最後の選択肢。
答えはとうに決まっていた。
明日は大雨が降るらしい。
大自然はきっと掘った穴を、私を、すべてを埋めて、何もかもを完璧にしてくれるだろう。
*
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