Pyres of a Cursed Kingdom 篝火の巡礼 下

プレイログ

このゲームについて

Pyres of a Cursed Kingdom」は、トランプを用いて王国の命運を背負った巡礼の過酷な旅を描くソロジャーナルです。

日本語訳もされている「Her Odyssey」と同じAspire SRDを使用したシステムです。

Pyres of a Cursed Kingdom is a Miracle M game created by Moro de Oliveira and is licensed under the BY NC SA 4.0 license.
URL: https://miraclem.itch.io/pyres

このプレイログについて

このプレイログは「Pyres of a Cursed Kingdom」を基に作成されたものであるため、当該作品と同じくCC BY-NC-SA 4.0のライセンス下で公開されます。製作者はぱむだです。

これまでのストーリー

前半のプレイログはこちら

アナトリア王国は呪いに蝕まれ、滅びつつある。空は闇に蝕まれ、大地には怪物が溢れ、民は苦しめられている。伝承によれば、呪われし「皆既日食」が訪れたとき、王国は完全に呪いにくらわれ、全ての民の魂が呪いに食らわれて地上からは消え失せるという。

この強力で絶対的な呪いに対抗する唯一の手段は、王国内に存在する「2つの聖なる篝台」に火を灯すこと。
王国に仕える騎士アグナは「最後の巡礼」として、王国を救うための旅に出た。
アグナは篝台を探す旅の中で、王国を蝕む呪いの忌まわしき真実を知る。
呪いの正体は、「魂の探求」のためにアナトリア王国そのものによって虐げられ、犠牲となった無数のエルスの民たちの怨嗟だったのだ。
己が仕える王国のおぞましい原罪を知り、また呪いの終焉を望まない歪んだ人間に狙われながらもアグナは民を救うために篝台を目指し、ついに1つの篝台に火を灯すことに成功した。

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ジャーナル

12日目

イベント…♦の10/人皮の書物

場所…50/泉

テーマ…5/償い

第一の篝火を灯した私はシルヴァーン高地を辞し、山道の先に広がるベルガーム森林へ入った。闇に蝕まれた空から降り注ぐ陽光は日中でも弱弱しいが、その光の中で確かに小鳥はさえずり、枯れかけた草花も懸命に光を受け取っている。
私は下草に埋まった小径を歩み、暗い森を進みながら、思案していた。

(二つ目の篝台を探すには……エルスの民を辿るべきか、それとも……)

私の中には一つの仮説が生まれていた。
王国がエルスの民を虐げ、呪いを産んだ。そしてその呪いを解くための『聖なる篝台』が、このアナトリア王国には存在する。『聖なる篝台』は、引き裂かれた魂による報復を予知し、対抗するために作られたものだったのかもしれない。
そうだとすれば、『聖なる篝台』に辿り着くには、この王国が行ってきた「魂の探求」の足跡を辿っていくのが妥当だということになるだろう。だが、それは、あまりにも過酷な旅路になる。怪物に立ち向かい、呪いに抗い、王国そのものすら敵に回す旅路に。

私はふと立ち止まった。
見覚えのある、鮮やかな色彩が目に飛び込んできたのだ。
この薄暗がりにあっても目に焼き付く、あまりに鮮やかな赤い塗料。
それが、森に置き去りにされたかのような大岩を横切るように、乱雑に塗りつけられていた。少し後退して見上げると、どうやら矢印が描かれているようだ。

「これは……『語り部の回廊』の……」

これはもともと風雪に強い塗料なのだろう。かなり昔に塗られたものであることがうかがえた。
あのおぞましい歴史を綴り、後世に残した『語り部の回廊』と同じ赤で描かれた道しるべ。私はそこに意味を見出さずにはいられない。
私は矢印に従い、歩き出した。

道しるべの先には小さな祠があった。磨かれた淡褐色の泥岩で作られた特徴的な八角形の柱が並び、その間に小さな聖域へ続く短い廊下があるようだ。
これも非常に古いもののようだが、壊れてはいない。人の立ち入らないベルガーム森林ならば不心得者に荒らされることもなかったようだ。私は歩みを進め、祠の中へ立ち入った。
聖域は暗く、私は松明に火を灯さなければならなかった。聖域は磨かれた石のタイルが敷き詰められ、冷たい空気の中には澄んだ水の匂いが漂っている。その中央には、こんこんと湧き出る澄んだ泉。この水は神事に用いられるのだろう。祈りの場の様式を見るに、ここはどうやら古代のアナトリアの聖職者たちが築いた祠らしい。
エルスの民の「魂の檻」となるはずだった礼拝堂での時間が、私の脳裏を過る。ここにもまた、歪んだ論理と、時を超える呪いが息づいているのだろうか。神の教えとは、人の祈りとは、結局はそのようなものなのだろうか。

泉の前には木のレクターン(見台)が置かれ、その上には一冊の革装丁の本が置かれている。
私は思案を振り切って、見台に置かれたその本に手を伸ばした。

「……っ!」

かさかさとした質感の妙にずっしりと分厚く重たげな本を取り上げたその時、私は嫌悪に息を飲んで本を取り落としそうになった。その風変わりな表紙の質感は、私が知るあらゆる獣の皮とも異なっていた。
これは……

「人の、皮……!」

人の革で装丁された本。なぜ清らかな聖域に、このようなものが置かれているのだろう?ここに書かれているものを知れば、何かが分かるのだろうか?
私は冷や汗が滲むにまかせるまま、本を開いた。羊皮紙に書きつけられた文字に目を凝らし、書かれた言葉をゆっくりと追いかける。

『これは、償いの書である。』

冒頭の一文で、私の心臓は逸るように動悸した。
「語り部の回廊」を彷彿とさせる赤い塗料で示された場所にあった、アナトリアの神官が残した償いの書。それが持つ意味合いは重い。
私はこれを読み解かねばならない。この巡礼の旅を成就させるためにも。

ダイスロール(Wisdom)…3/失敗

『償いの書』はとても難解で、私は一晩を掛けて書物に取り組まなければならなかった。
私はこの泉の祠で、『償いの書』の読解のために大きく足止めされることとなった。
だが、それだけの時を掛けて読み解く価値はあったようだ。

魂:10→9

13日目

イベント…♦のJ/囁きかける遺物

性質…49/影

私は書物に改めて目を通す。
どうやらこの『償いの書』は、エルスの民の『魂の解剖』を行ったアナトリアの神官が書き綴ったもののようだ。独白調の文体は、神学書のものではない。いわば回顧録のようなものか。
かなり昔に書かれたもののようだ。このころ、まだ王国は呪いの影響下になく、栄華を極めていたのだろう。

 

——これは、償いの書である。

われわれアナトリアの神官は、王命によりエルスの民の魂の解剖を行った。
あまりにも多くの魂が切り裂かれ、運命に働きかけるほどの恵みが取り出され、このアナトリアの大地を巡った。王国は栄え、大地は富み、疫病は癒えた。百年、千年の栄華が、すでにこのアナトリアには約束されている。
それは、それだけ多くの魂が、我々の手によって無限の苦痛と絶望に陥れられたことを示している。

王は言った。
「エルスの民は人にあらず」と。
王が言ったのだから、それはアナトリアにとっての真実となった。
だが、われわれは知っている。
エルスの民の肉体を切り裂き、取り出した魂を辱め続けたわれわれは、”真なる真実”からは逃れようもない。王国の名と誉のもとに罪を重ね続けたわれわれだけが、それが真に罪であることを確信できるのだ——
エルスの民は、人である。
アナトリアの民と何ら変わらぬ、魂と肉体を備えた、人間である。
われわれは人を殺し、魂を弄び、その癒えぬ苦痛を王国の肥料としてきたのだ。

王は切り裂かれた魂を封じるために、エルスの祷り手の礼拝堂を建設させたようだ。
だが、それにどれほどの意味があるかは疑問である。
為政者に命じられ、同胞の無念の魂を封じるために祈りを捧げる。
そんな歪な構図が、数百年、数千年と保てるはずがないのだ。

切り裂かれた魂は王国を漂い続ける。それはあまりに夥しく、強力なものとなっていく。それが生み出す歪みは、アナトリアがこれまで極めてきた栄華より遥かに強大なものとなるだろう。
アナトリアの神官たちは、すでにその到来を予測し、行動に移している。
切り裂かれた魂が呼び起こす闇の力に対抗する光。それを生み出すための神導装置。それこそが『聖なる篝台』である。

これは償いの書だ。
われわれはあまりに多くの罪を重ねすぎた。
その罪の償いは、後世の王国の民が引き受けることとなる。
これはとうてい耐えうる悔恨と慚愧ではない。

願わくば、王国の後裔たちよ。
いずれ牙を剥くエルスの魂を、『聖なる篝台』にて鎮めよ。
ひとつの『聖なる篝台』はシルヴァーン高地に。
もうひとつの『聖なる篝台』は影の谷に。
千年の栄華を手放しても、誉れ高き明日を迎えられるアナトリアであるように祈る。

この書を綴ったのち、私は命を絶つ。
『償いの書』は私の皮膚にて装丁し、魔術による保護を施す。
幾年が過ぎようと、真にこの書が必要な者が現れた時、これは姿を現すだろう。

 

私は、『償いの書』を閉じた。
心はひどく重く、暗い。
思わず言葉が漏れた。

「これほどの罪を重ねても、なお……」

人と知り、人を殺めたと綴る、アナトリアの神官たち。
それでもなお、命を賭して残す言葉は、王国の後世の安寧のための方法に過ぎなかった。
『償いの書』の名が示しているのは、エルスの民への償いではない。呪いを受け継ぐことになった王国の後裔への償いだった。
王国の傲慢は根が深い。その血は私にも流れている。そう思うだけで、ひどく沈むような心地がした。

ダイスロール(Cunning)…2/失敗

「篝台は、『影の谷』にあるということか」

私は淡々と呟いて『償いの書』をレクターンに戻した。荷物をまとめ、泉の祠を後にする。忌むべきものは空を覆う呪いなのか、冷え切った肉体の中を巡る血なのか、自分にもわからなくなっていた。

魂:9→8

 

14日目

イベント…♥の9/旅人と遭遇。不安を抱えた人物。

名前…41/ライザ

場所…65/砦

ベルガーム森林はかつて長き戦役の地だった。
堅牢な砦が夕陽に沈む木々の中に姿を現したとき、私はそのことを思い出していた。
砦は長い年月の中で荒れ果てているだろうが、一晩の夜風と雨露は防げるかもしれない。私はマントの前を掻き合わせ、砦の崩れた塀の向こう側へと進んだ。
遠くに揺らぐ光が見えて、私は足を止めた。誰かが焚火をしているようだ。
私は前も似たようなことがあったのを思い出していた。何も言わずに近づけば、前回のように攻撃されるかもしれない。慎重に、声を掛ける。

「そこに誰かいるのか? 私は旅人だ。ここで一夜の休息を取りたい」
「……巡礼さま?」

聞き覚えのある声が返ってきて、私の胸は高鳴る。
焚火の奥の暗闇から見知った顔が姿を現した。シルヴァーン高地で私の命を救ってくれた少女、鍛冶屋のライザだ。どこか不安そうに沈んだ眼差しで、旅装に身を固めている。
ライザは私の顔を確かめると、どこかほっとしたように表情を緩めた。再会を喜んでくれるのは私としても嬉しかったが、なぜライザがここにいるのだろう?

私はライザに近づきながら、困惑を滲ませた声で尋ねた。

「ライザ。シルヴァーン高地から、ここに?」
「はい」

ライザははっきりと答えて、私の目を見る。

テーマ…65/正義

「イゾルデさんは、私を殺そうとしました」

ライザが淡々と告げる。
私は息を呑んで、ただ彼女を見つめるしかなかった。ライザの灰色の瞳は夕闇の中で光を宿さず、どこか暗く揺らいでいるようだ。
イゾルデ。シルヴァーン高地の集落を守る英雄。その名に囚われ、呪いの終焉を恐れる一人の女。イゾルデは呪いの時代に執着するあまり、巡礼である私を殺そうとした。そして、ライザに阻まれたのだ。
そのイゾルデが、ライザまでもを殺そうとしたというのか?

「その気になれば、イゾルデさんが私を殺すのは簡単だったはずです。しかし、イゾルデさんは躊躇いました。その隙に私が逃げ出したとき、イゾルデさんは——」

ライザは目を伏せ、言いよどんだ。

「イゾルデさんは、『あんたは、この村を出ていくべきだ』と。
『そうでなければ、あたしはあんたか、この村の人全てを殺さなければならなくなるから』、と……」
「そんなことを……」

私は絶句した。ライザを殺すこと、自分が守った集落の人間を皆殺しにすることさえ考えていたというのか。英雄であり続けるために巡礼を殺そうとした、その罪を隠すためだけに。イゾルデの執着は理解を越えている。
ライザはクッ、と細い喉を鳴らして唾をのみ、真剣な眼差しで私を見た。

「イゾルデさんは、ただ私を脅したわけではない。私には、分かっています」
「ライザ……」

敬愛する人の豹変を目にしたことが、この少女の心にどれほど深い影を落としているかは、私には分からない。だが、ライザの声には、はっきりとした芯が感じられた。

「私には、私の為すべき正義がある。それは、シルヴァーン高地で呪いの空を見ながら暮らすだけでは、もはや達成できないことだと——イゾルデさんは、それに気づかせてくれました。ですから、巡礼さま」

ライザは私を見つめ、言い切る。

「私は、あなたをお支えするために、あなたを追ってここまで来たんです」
「そんな……」

私は絞り出すように言った。

「あなたは、民だ。私が守るべき、数多の人の一人だ。危険な目に遭う必要なんかないんだ」

ライザの瞳は穏やかに私を映している。

「いいえ。誰にでも、戦うべき時があります」
「それは……」

ライザはそっと手を出して、私の手を取る。

「巡礼さまは、民を守るための旅をしている。
なら、あなたを守る人が、必要なはずです」

判定(Wisdom)…9/成功

私の頬を熱い涙が伝った。
ライザの真っ直ぐな想いと献身に、背を向けることなどできなかった。
私を守りたいと、差し出してくれた手。
どうしてこの手を振り払うことができるだろう。
過酷な旅の孤独さを、その温かさが慰めてくれるようだった。

魂:8

15日目

イベント…♣のJ/災害。炎または溶岩

翌日、私はライザと共に「影の谷」を目指して旅立った。
私が携える王国の古い地図には、ライザが見てきた景色がいくつか描きこまれている。涸れた湖、滅んだ集落、そして。

「炎の海……」

私はまだ信じられないといった顔で、地図に描きこまれたライザの几帳面な小さな字を読み上げた。

「はい。ベルガーム森林東端に、地割れから湧き出した炎が溢れていました。あれは、ただの山火事ではなかった。呪いの炎です」
「『影の谷』を目指すなら、避けては通れない場所だ。何か手立てはあるか?」
「……」

聞くまでもなかった。炎の海を横切る『手立て』など、誰が持っているというのか。私は黙り込んだライザに『気にするな』と言わんばかりに手を振って、歩き出した。

 

呪いの炎が満ちるベルガーム森林最東端。私は長い髪をまとめて革のヘルムの下に押し込みながら、溢れる炎が地面を伝い、木々を蛇のように遡り、木の皮や葉を千切り取るように燃やし続けているのを眺めていた。
明らかに異常な炎ではあるが。炎が空間をぴったりと満たしているわけではない。まばらな木々に炎が上って燃え盛っているだけだ。多少の火傷を覚悟すれば、突っ切ることは不可能ではないだろう。
私とライザは近くの泉から汲みあげた水を互いに頭から掛け合い、最後に頬をびしゃりと叩いて覚悟を決めた。

ダイスロール(Edge)…8,2/失敗

この時、私はまだ知らなかったのだ。
炎の海の真に恐れるべきは、火傷ではなかった。
それは呪いから生まれたもの。切り裂かれた魂より溢れ出し、全き魂を損なうものだったのだ。
炎の海を踏破したとき、私の魂には変化があった。それは外見からは決して分からない、しかし決定的な歪みだった。

魂:8→7

16日目

イベント…♥のQ/不気味な人物

職業…91/伝令

性質…27/謎めいた

場所…26/街路

テーマ…73/光をもたらすもの

ベルガーム森林を離れた地に広がる商都、エボンウォーン。
呪いに覆われ廃れたアナトリアにあってなお、街の人々は生活を続けているようだ。それはもちろん、魂なき怪物の襲撃や呪いが引き起こす天変地異と表裏一体の日々なのだろうが。
シルヴァーン高地育ちのライザは、このような大きな街は初めてのようだった。衰え、人の通りが途絶えてなお、立ち並ぶ家々と店の品ぞろえにその灰色の瞳が魅了されているのがうかがえた。
街の大通りには、この地域一帯で見慣れた、淡褐色の泥岩と年輪の深い楢の木で築かれた建物が、不揃いながらも律儀に並んでいる。目の細かい泥岩の壁面は風雨に磨かれて滑らかに光り、日の傾き加減によっては瑪瑙にも似た輝きを帯びることもあるようだ。
古い街の年月とともに擦り切れていく街並みの底には、民の怯えたような吐息が潜んでいるように思えた。

「ライザ、ここで幾つか買い物をする必要がある」
「はい。食料と、水、松明……」
「それと、馬が一頭見つかればいいんだが」

この都市でまだ商売をしている馬屋は果たしているのだろうか。だが、たとえ破滅が迫っていても、人は明日のパンを買わねばならない。これだけ広い街で、誰もが自暴自棄になって逃げだしたということはないはずだ。

大通りを行く私たちの目の前に、揺らぐようにマントを風になびかせた小柄な人物が現れた。額を防護する鉄板を付けた丈夫そうなチェインコイフ、補強されたブーツを身に着け、腰に雑嚢を付けた旅装。軍の伝令のような装いだ。
特に構わず歩みを進めると、伝令は低い声で呼びかけてきた。

「止まりな」
「……?」

ライザの静かな横顔を一瞥し、私は立ち止まる。伝令のような人物はコイフの下で白々と光る白目をぐるりと巡らせ、私とライザを順繰りに見た。
その目はやがて私の顔に戻ってきて、忍び笑いが漏れ出る。

「きひひ、どうやらあんたみたいだ。あんたに伝えなきゃならないことがある」
「……」

声を聞く限りでは、中年の女のようだ。
ライザが警戒するような険しい視線で私に目配せする。彼女が言いたいことは分かっていた。
イゾルデのような、呪いの時代に固執する人間も王国には存在する。素性の知れない人間に対して、私が巡礼であると知られることには慎重にならなければならない。
私は剣の柄に手を置き、冷徹に言った。

「それが騎士の行く手を遮るほどの用か、見極めるまでの猶予はくれてやる。話すがいい」

ダイスロール(Steel)…10,1,4/成功

伝令は、薄く笑って言った。

「あんた、『影の谷』を目指しているね」

何故、それを知っているのだろう?
私は冷たく眉を寄せ、言葉の続きを待った。

「いずこで聞きつけたかはさておき……巡礼はどこかで、『影の谷』を目指すことになる。必ず、必ずだ。だが、そこは、人の身で立ち入れる場所ではないんだ……」
「それは、どういうことですか」

硬い表情でライザが問いただす。しかし、伝令は彼女になど目もくれないようだ。
『影の谷』は伝説にその名を残す地であり、アナトリア最後の秘境とも呼ばれる地だ。この私も立ち入ったことはない。この呪いの時代において、そこが人の身では耐えられない極地となっていたとしても確かに不思議ではなかった。
だが、だとしても、その『影の谷』についての情報を齎すこの女は、何者だというのか。

「人の身で『影の谷』に立ち入るには、『光』を齎さなければならぬ。影を払うならば光が要る、そういうものなのさ」
「光……」

篝火を灯すために、先導の光が要るというのは皮肉な話だ。
私は先を促すために、一歩進み出た。

「『影の谷』は、きさまのような遣いを寄越すのか?」
「きひひ……まさか、まさか。あれは人知人理を超えた地。いかな旅人が王国を旅しようと、人の身など気にも留めまいよ」

癇に障る物言いだ。人を弄んでいることを隠しもしない。そもそも謎かけのようなことしか言わないなら、最初から人に向かって口など開くべきではない。私はこめかみをひくりと脈打たせ、剣の柄に手を置いた。
伝令は敏捷に飛び退り、コイフをかぶり直して大きな口でにたりと笑う。

「おお、怖い怖い……伝えるべきことは伝えたよ、”巡礼”さん」
「……」

私は厳しく伝令を睨みつける。伝令は耳障りな笑い声を響かせ、細い路地へと身を翻して消えていった。

魂:7

17日目

イベント…♦の6/歪んだ儀式用の仮面

『影の谷』に立ち入るのに必ず必要になる『光』とは、何なのか。
伝令の言葉を全て信じたわけではないが、あまりに情報が少なすぎる。私たちは宿で一夜を過ごし、エボンウォーンの大神殿へ立ち寄った。

街は荒廃していたが、それでも神官たちは祈りの場を放棄してはいないようだ。ぞろりと長い聖衣の裾を引きずって、疲れた顔の男たちが行き来している。
石造りの神聖な場には、青白い香煙がゆるやかな渦を描きながら天蓋へと昇り、高い柱の間を幽かに漂い続ける。無音の熾火に沈むラブダナムの仄甘くけぶる様な香りが、冷たい空気をうっすらと染めている。それは神に仕える男たちの空しい祈りの余韻であり、悲痛な嘆願の残滓でもあるように思えた。
鐘の音が石壁に反響する。それは王国の滅びを決定づける「皆既日食」がまた近づいたことを告げる、重々しい運命の音だった。
私とライザは聖堂の光の下に立ち、神官が祈りを終えるのを待っていた。

「巡礼さま、お待たせいたしました」

灰色の長い髪を胸まで伸ばした、翳ったような暗い瞳の男が、香煙をふわりと乱して現れる。
私は静かにその神官を見据え、前触れもなく切り出した。

「『聖なる篝台』の探求を進めている。すでに1つには火を灯した」
「ええ、存じ上げておりますとも。呪いの在り方が変わった……今はただ、民でも、この国でもなく、巡礼さまに牙を剥かんとしているようにすら」
「……」

本当にそうだとしたら、私が旅をしている意味もあったというものだが。案じるような神官の眼差しを冷静に受け止めて、私は言った。

「これから『影の谷』に向かう。情報が必要だ」
「そこに、篝台が?」

私は頷いた。

「そこに関する伝承のようなものは、この神殿には伝わっていないだろうか?ただ唐突に、そこに篝台が現れたわけでもないだろう。何か由縁があるはずだ」
「『影の谷』……」

神官は思案に沈むように呟き、暗い瞳で私を見る。その声はどこか戸惑ったような、推し量るような響きを持っていた。

「その地については……この大神殿の長き歴史と探求を超えてなお不可解なままの伝承が、一つ残されています」
「それは?」

神官は私たちを小部屋に通し、立ち去った。ややあって侍従を伴って戻って来た神官は、天鵞絨を張った台に置かれた一つの仮面を私たちに示す。
それは奇妙な仮面だった。歪つな鋼に、くすんだ金の装飾が繊細ながらも禍々しく施されている。朽ちた屍のように非対照に歪んだ口は、誰も耳を傾けることのない悲嘆を叫んでいるかのようにも見えた。

「これは……」

神官は静かに私を見つめ、言った。

「影を照らす、光であると。それがどのような意味であるかは、我々には秘されています」
「影を照らす、光……」

それは、この禍々しい見た目にはそぐわぬ呼び名のように思えた。

ダイスロール(Wisdom)…8/成功

私はその仮面を手に取った。仮面の表情は、癒えない悲嘆を永遠に刻みつけているかのようだった。その錆に覆われた黒鉄の痺れるような震えとして陰鬱に響き続ける声を、私の耳は確かに聞いた。
私は息を呑み、仮面の瞳なき貌をじっと見つめていた。

〈——切り裂かれた魂が集まる地に、影は落ちる〉

耳鳴りのように、夢の中で聞く思い出の歌のように、現実感のない声が私に語り掛ける。
それは、この仮面に受け継がれてきた想いの声だ。

〈いずれそこは約束の地となり、呪いの核となるだろう〉

私は息を呑んだ。
『影の谷』が、そのような場所だったということだ。
アルトリアの神官たちによって切り裂かれた魂が、エルスの祷り手たちによって放たれ、大地を漂い、空に迷い、いずれ必ず集まる地。
それはまさしく、王国を覆いつくす呪いそのものの中核部となるだろう。
『聖なる篝台』がそこにあるのなら、そこに人の身で踏み入らなければならないなら、この旅は絶望的に厳しいものになる。
『影の谷』に集められた、その尽きぬ呪いの中に踏み入るために、この仮面が何かの助けになるというのだろうか?

〈”人”は言葉を持ち、”呪い”は言葉を持たぬ〉

声はどこか虚ろな悲しみを湛えている。

〈それを繋ぐのは、唯一、この仮面のみだ〉

〈巡礼よ、旅を続けよ〉

〈そして、影の谷に至るとき——〉

〈この仮面に、ふさわしき名を唱えよ〉

〈正しき答えが見出された時、それは唯一なる光となるだろう〉

視界がぐるりと回る。頭が痛み、消耗による眼前の明滅が現れる。
私は小さく呻いて、力の入らない膝を折って倒れ込んだ。慌てたように神官が声を上げ、ライザが力強い腕で私をしっかりと支える。私は呻くように「大丈夫だ」と言い、手さぐりに椅子に手を突いた。
手にした仮面を見つめる。すでにその声は聞こえなくなったが、残した言葉は深く刻み込まれていた。
人と呪いを繋ぎ、対話を可能にするもの。
この仮面には、その名をつけなければならないという。

「巡礼さま……」

ライザが呟く。
私はゆっくりと息を整え、姿勢を直した。
この旅の終わりが、見えている。私はどこに向かい、何に立ち向かい、何をすべきか。それは、私の苦悩と彷徨の果てよりは、よほど近い位置にあるようだ。

「向かおう。『影の谷』へ」

魂:7

18日目

イベント…♣のA/登攀

大地の褶曲が、影の谷への道を阻んでいた。とても歩いては登れない絶壁だ。私は荷物を背負い、足場代わりの鉄杭を携え、ロープでライザと私の体を繋いだ。

「登攀の心得が?」
「少しばかり」

私は二人分の靴を革細工用の目打ちと紐を用いて補強しながら、静かに言った。アナトリアの東部は険しい山地だ。王国の統治を広める我々騎士団には、山岳地での戦闘の心得もある。
我々、騎士団——その言葉すら、今や空しいとは言っても。
私は先んじて岸壁に取りつき、力強く自分の体を持ち上げた。

判定(Edge)…5,3/大成功

そのとき、全ての憂いも悩みも忘れ、私とライザはただその絶壁に命を賭して向き合っていた。
私が生まれ育ち、愛したアナトリアの大地は、人の醜さも、私の弱さも、歴史の欺瞞も関係なく、ただそこにあって私たちを試していた。私とライザの間の、言葉すら介在しない極限の信頼と、自分の手足の確かさだけが、持ちうるすべてだった。
それは紛れもなく命の瀬戸際に立たされた、厳しい状況だったが——少しずつ、少しずつ、山頂が近づくにつれて、私の疲弊した魂には、確かに、生命の息吹が吹き込まれるのを感じた。

私とライザは冷たい山風の中で身を縮めて沸かした熱い湯を飲み、眩いほどに頭上で輝く星空を見上げた。呪いを含んで濁った大気は思っていた以上に重いということか、山頂で見る星空はここしばらく見なかったほどに澄んでいる。

「巡礼さま」
「何だ、ライザ」

マントの中で身を縮め、私は極限の疲れでやや脱力した声で答える。
ライザはしばらく黙り込んで、ふ、と穏やかに息を漏らした。

「綺麗ですね」
「ああ……そのために、戦う価値があると思えるくらい」

ライザは私を優しく見つめ、何も言わなかった。

魂:7→8

19日目

イベント..♠のA/敵と遭遇。”魂なき神官”

場所…91/塚

行動…45/怒り狂う

性質…2/暗闇

嶮山を越えた先に広がる荒涼とした大地。『影の谷』が近づいている。私とライザは首筋に触れてきそうなほど分厚く暗い雲に覆われた曇天の下、黄色く枯れ果てた下草に覆われた、薄れた道を進んだ。
道の両脇には、破壊された石の「塚」が無数に転がっていた。それは墓標というより、何かを封じていた檻の残骸のようにも見えた。
ライザがその異様な光景を眺め、ぽつりと呟く。

「墓場……いや、まるで廃棄場のようにも見えますが」
「何が棄てられ、何がそれを壊したというのだ?」

ライザは黙ってかぶりを振る。答えの返ってこない問いが、背筋を冷たくする。破壊された塚はただ土を盛って作ったものではない。切りそろえられた石材に、神殿府のレリーフの破片。明確に王国が介在したものだ。かなり古いもののようだが——
足音が聞こえる。
複数、そのどこかもたついたような意思を感じさせない足取りは、まぎれもなく魂なき怪物のものだ。
私は剣を抜き、ライザを背に庇った。

「影の谷の番人……というわけでもなさそうだ」
「あの服装は……神官のものではないですか? なぜ、ここに……」

ライザが息を呑む。私もまた、その魂なき怪物たちを、食い入るように見つめずにはいられなかった。
それは、アナトリア神殿府の神官の服を着ていた。
王国の醜悪な欲望によって魂を切り裂かれ続けたエルスの民でもなく、空を覆う呪いによって変質したアナトリアの民でもない。魂なき怪物と化した神官たちが、その虚ろな眼窩に鮮やかな黄緑の光を宿して、のそり、のそり、と神官服の裾を引きずって歩いてくるのだ。
なぜ、この辺境の地に、これほど数多くの神官が?
それも、己の亡骸を収める古い塚より這い出し、一人残らず魂なき怪物と化して。
明らかに、尋常の事態ではない。
破壊された塚の陰から、瓦礫を押し分けるようにして、”魂なき神官”たちは次々と姿を現す。魂を凍り付かせるような絶叫がその灰色に干からびた喉から響き渡り、底知れない激怒と憎悪が曇天を震わせる。
“魂なき神官”を支配するのは、どこまでも尽きない怒りのようだった。ある者は天を仰いで慟哭し、ある者は地面を拳で叩きつけ、またある者は互いに掴みかかっては、引き裂かれたローブの布を虚しく握りしめる。
妙な行動だ——そう思う余裕もなく、私は剣で怪物の一撃を防いでいた。
朽ちた宝杖を振りかざした怪物が、虚しい怒りの叫びを吐き出しながら、私に狂おしい連撃を繰り出してくる。私は紙一枚の厚みほども下がることすらなくそれを捌くが、どうにも数が多い。突破口を探さなければ、下手に動くこともできそうにない。
私は鋭く鞭うつような一撃で怪物の宝杖を跳ね上げ、がら空きになった胸に一太刀を食らわせた。

「その、体は……!」

ライザの声に、驚愕が滲む。
私は神官の体躯に目を凝らした。引き裂かれたローブの隙間から覗くその肉体には、おびただしい数の傷跡が刻まれている。それは乱雑な傷ではない。まるで意図的に、儀式的に体を切り開いたかのような、禍々しい文様を成していた。

「……っ!」

驚愕に剣が迷い、突進してきた怪物の一撃を胸甲に受ける。わずかに踵で地面を擦って乱れる呼吸を整え、私は無防備に下がった剣先を変則的に繰り出して怪物の顎から脳天までを串刺しにした。
怪物の肉体に、広く、文様の如く座まれた、肉と骨までをも断つ幾何学的な傷。
それに、私は見覚えがあった。
脳裏に焼き付いて離れない、あの『語り部の回廊』で見た、『魂の解剖』の図絵。
この神官たちの魂は、取り出され、切り裂かれ、王国に恵みと、恐らくは呪いを齎す存在となっている。

一体、ここで何が起きたというのか——
全ての神官の肉体に、その図絵は刻まれている。アナトリアの古代の技術体系に従って、非常に精確に、緻密に。死体を部外者が切り刻んだという形には見えない。
それが、何を意味するのか。
怖気を誘う真実が、私の肩にのしかかる。

「神官たちは……『魂の解剖』を、互いに行ったというのか……?」

あの『償いの書』を遺した神官たち。
エルスの民を切り裂き続けた、魂の解剖の技術者たち。
彼らは最後に、同胞の肉体を裂き、魂を取り出しあった。その酸鼻を極める結末の中に、王国の千年の栄華を支える『魂の解剖』の技術体系はついに途絶えたのだ。

怪物たちの怒りの声は、憎悪の光は、決して私には向いていない。
私を嬲り殺しにしようと波濤をなして襲い掛かってきながら、その攻撃はひどく空虚だ。

そうだ。
私は思い出す。
あの悍ましい壁画の、最後に語られていた顛末。

彼らは王国から、神殿府から裏切られたのだ。
王国は、用済みとなった「魂の解剖」という禁断の技術ごと、歴史の闇に葬り去ろうとした。

そして彼らは、自分たちの手で、仲間たちの手で、その身を「解剖」した。エルスの民に行ったのと同じように。そういうことなのだろう。壁画に描かれていなかった、一つの結末。
彼らをそうさせたものは、一体何だったのか。王国に利用され、捨てられることへの最後の抵抗。自らの技術と存在を「王国の礎」として永遠に刻みつけようとする、歪んだ自己犠牲。エルスの魂によって千年の栄華を約束された王国の未来に繋ぐ美しい意志。

だが、神官たちの気高い決意は、無情な現実の前に砕け散った。

切り裂かれた魂に、栄光などありはしない。約束されたのは、筆舌に尽くしがたい永遠の苦痛だけだった。そう、数えきれないほどのエルスの民たちの魂と同じように。
想像を絶する責め苦は、彼らが抱いた王国への忠誠心も、自己犠牲という気高さも、仲間への想いさえも、全てを摩耗させ、すり潰していった。
そして、残ったのは、ただ一つの純粋な感情。

『なぜ、我々だけが、このような目に』

それは、あまりにも身勝手な怨嗟だった。
自分たちが切り裂き続けたエルスの魂へ向けられるべき後悔でもなく、非道の末に全てを闇に葬ろうとした王国への正当な怒りでもない。ただ自らの、”気高い”はずの選択がもたらした耐えがたい結末への、やるせない怒り。
その怒りが、彼らを「魂なき怪物」へと変貌させた——

「なぜだ……!」

襲い掛かる神官を切り倒し、私は血を吐くような叫びを響き渡らせた。

「引き裂かれる魂の業苦さえ知りながら、なぜその非道を顧みることすらしないんだ!」

判定(Steel)…1,10,5/大成功

——神官たちの呪われた肉体は、私の剣に全て切り伏せられた。
それでも救われぬ魂だけが、大気を巡り風を濁らせる。
私の叫びに応える者はなく、越えてきたばかりの大地の険しい褶曲の向こうに、衰えた太陽が沈んでいく。

「巡礼さま、お怪我が……」

ライザが私の背を引き寄せ、抱きとめる。その手が鎧の留め具を外し、凹んだ胸甲をごとりと足元に落とす。怪物の一撃に撓んだ肋骨が、呼吸のたびにずきずきと痛む。
私は力なくライザの胸にもたれたまま、夜の闇に沈んでいく王国を大地を茫然と眺めていた。

「ライザ」

縋るように、呼びかける。

「呪いを産んだ者さえ、そうして呪いに沈んでしまったなら——」

剣の柄を握り締めたままなかなか開けなかった手を、痙攣させながら一本一本開いていく。
私の手から抜け落ちた剣もまた、地に転がる。

「無惨に虐げられ、切り裂かれた魂に、今や誰が償うことができるというんだ……?」

ライザは答えない。ただその両手が、痛いほど強く私を抱き締めた。

魂:8→9

20日目

イベント…♥の5/旅人と遭遇。奇矯な人物

場所…19/丘

名前…76/ヴェラリック

険しすぎる山々を越え、歴史の闇に封じられた解剖者たちを打ち破ってなお、最後の地である「影の谷」を目指す旅は熾烈を極めていた。アナトリア王国の威光の届かぬ見捨てられた大地は、まさしく影の名が冠されるに相応しい。
凍てつく夜をライザと身を寄せ合って過ごし、燻る魂の塵が降る朝を歩き続ける。陽射しがいくらか澄んできた頃合いに、私たちは見晴らしのいい丘陵地に至っていた。
王国の古い地図に、その名だけが記された「影の谷」。
そこに至る道を見晴るかし、私は手元の地図に丘から見える地形をいくつか描きこんだ。
ライザは黙々と火を起こし、携帯食の干し肉を火で炙ってる。

「ライザ」

私は丘を渡る荒んだ風を浴びながら、ライザにぽつりと声を掛けた。

「この先は危険だ。無理についてくる必要はない」
「巡礼さまをお守りするために、ここに来たんです。ここで退いては、意味がありません」
「お前だけでも生きて帰れるなら、十分すぎるほど意味がある。私を守って命を落とすなど、ばかげたことだ」

私はため息と共に言う。この先に何が待っているのか、もはや見当もつかないのだ。ライザが傷つき、あるいは命を落とす危険があることを、私は恐れていた。
ライザの声は風の中でも全く揺らがず、まっすぐに届く。まるで私の怯懦を眩く照らすかのように。

「誰も完璧にはなれない。守られるべきでない人などいません、巡礼さま」
「……」

ライザの頑固に閉口して、あるいはふと滲みそうになった涙をこらえて。
私は沈黙したまま、上を向いた。

その時だった。

「ふうむ。出迎えご苦労、我が騎士よ」

——唐突に響き渡った愉快そうな女の声に、私はとっさに振り向いた。
いつの間にか、丘にもう一人の人物が現れている。
16、17歳ほどの、滑らかな白い肌の娘だ。
白銀の輝きを帯びた長い髪を結い上げ、紫水晶で造られた薔薇を挿している。光を湛えてきらきらと零すような大きな淡い青の瞳には、縁取るような長い銀の睫毛。クジラの髭のコルセットでがっちりと固められているらしい、完璧なプロポーションを飾る華美なドレス。この見棄てられた地にそぐわない、貴族然とした豪奢な装いだ。
娘は無暗に大きな羽扇を取り出し、唇の前で優美にふわふわと揺らした。

「かような影の地までこのわらわに仕えに来ようとは、見上げた忠誠心である。褒めてつかわそう」

私とライザは目を見合わせた。
滲んだ涙はいつの間にか消えていた。
誰だ、この女は? 何を言っているんだ? 仕えに来る? この私がか?

「クァミに授けた伝言は無事届いたようじゃの」
「クァミ……あの伝令か」

私は眉を寄せて呟く。商都エボンウォーンで私を呼び止めた、あの伝令を遣わしたのは、目の前のこの娘のようだ。娘は羽扇の向こうで小さくあくびをして、間延びした調子で言った。

「礼を尽くすのがいささか遅いようじゃな」
「それはきさまも同じようだ」

私は冷淡に言う。
娘がきりきりと眉を吊り上げ、ペイルブルーの瞳で私を睨んだ。

「控えぬか、巡礼の騎士よ。わらわはノルディエ・ヴェラリック・アナトリア。このアナトリアの最も高貴なる血を受け継ぐ継嗣であるぞ」
「王国の継嗣?」

要はアナトリアの王女だと、この娘は主張しているのか。私は更に険しい表情を浮かべ、剣の柄に手を置いた。

「それが真なら、しかるべき礼をもって遇するが——」

私の冷ややかな声が、風に流れる。

「この影の地での唐突な名乗り、とうてい信じられるものではない。証を立てる術はあるのか?」
「フン」

ノルディエと名乗った娘は顎を上げ、肩をそびやかす。

「父祖より影の地を譲り受けしヴェラリックの血筋について、騎士が知らぬとは嘆かわしいことじゃの」
「譲り受けた? きさまがこの地の主であると?」
「そう言っておる」

ノルディエは宝石の鎖をちりちりと鳴らして、私の方へ踏み出してくる。

「古き王より血を受けしヴェラリックは古くよりこの”影の地”の領主。呪いの伝承を受け継ぎ、王国の難事に立ち向かう者である!」

ダイスロール(Cunning)…4/成功

テーマ…19/犠牲・生贄

「そうか……」

私は剣の柄から手を離す。
しかし、傅くことはしなかった。

「アナトリアの王が、影の地に胤裔を残し、王国を襲う呪いに備えさせた、と——」
「うむ、いかにも。頭の固い武骨漢に見えたが、そうでもなさそうじゃ」

ノルディエは軽薄なほどきらきら光る淡い青い瞳を、狭めた瞼の間で挑発的に翳らせる。
ああ、この娘は知らないのだ。自分が影の地に残された王の子であるということ。それが何を意味するのか。憐憫と虚無感が、胸の中で渦巻いている。
私は皮肉には応じず、ノルディエを静かに見た。

「王国の呪いとなったのは、虐げられた民の魂だ」
「民じゃと? それは民ではなく、呪わしき畜生ども——エルスの魂の残滓じゃ。少なくとも、わらわはそう聞いて育ったが」

畜生ども。
エルスの民を、未だにこの娘はそう呼びならわしているのだ。
私は、背筋が冷たくなるのを感じた。
辺境に古い言葉やしきたりが残るというのは、ままあることだ。だが、これは明らかに意図して引き起こされたもの。忌まわしき歴史を焼き捨て、変わりゆく王国の最も深き罪を受け継ぐために、「ヴェラリック」の血はこの影の地に残された。

ヴェラリック。
その名を、すでに私は何度も目にしている。
エルスの民の「魂の解剖」を命じた、王国の栄華の礎にして稀代の暴君。ヴェラリック王は、まさに、そのひとの名だ。
いつか起きる呪いのために、影の地に受け継がれた悪しき王の血。
それは、つまり——

「きさまは、自分が何のためにここにいるのか知らぬのだな」

私は、疲れた声で言った。

「王の命令によって、無限に引き裂かれた魂が抱えた恨み……それが、この災厄を引き起こしたのだ」

ノルディエが訝し気に私を見る。
私はゆっくりとかぶりを振り、続ける。

「ヴェラリックの、古き王の血を継いだ者が影の地にいれば、呪いを鎮めることができる。王国の後継者たちはそう考えたのだろう。それは、つまり……」

私の言わんとするところを察したのか、ライザが息を呑むのが、耳に届いた。
見晴らしのいい丘の上の陽射しの中で、私の目の前は暗い。この王国の抱える罪は、どこまで深いというのだろう。

「きさまを生贄に捧げ、エルスの民の魂を慰めることで、呪いを鎮めろということだ——……」

ノルディエの白い顔から、すっと表情が消えた。
それは怒りでも絶望でもなかった。
小さな唇が震えて、呟くように言った。

「分かっておる」

私はゆっくりと目を見開く。
華美で高慢で、無知な娘。そう見えた彼女の様相は、すでに一変していた。
深く静かな諦念が、その瞳を無風の湖面のように澄み渡らせている。そよ風のような囁き声が、心を切り裂くように刻み付けられる。

「そのために、わらわはここにいるのじゃ」

「呪いの飢えた胃袋に、わらわを放り込む——」

「其れこそが、巡礼たるそなたの最後の仕事となるであろう」

魂:9

21日目

イベント…♣の9/災害。矢。

場所…13/塔

テーマ…86/劫罰

私とライザは、ノルディエの居城で一晩を過ごした。
朝日の中目覚めた私たちは、ただ無言で、窓から見える塔を眺めた。

——劫罰の塔。

ノルディエはその塔を、そう呼びならわしていた。
生贄の王の血が流れることになる、処刑場。ノルディエの命が奪われるその場所を。

ベッドから起き上がって、鎧を身につける。
ライザはベッドに座り込んだまましばらく石のように黙り込んでいたが、やがてゆっくりと起き上がって私の鎧の帯革に手を掛け、きつく留めた。
そして、そのまま離れなかった。

「ライザ」

呟くように、私はライザを諫めた。いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。ノルディエに死をもたらし、呪いを晴らすのもまた、巡礼である私の役割に違いないのだから。
ライザは縋りつくように私の背にもたれ、震える息をゆっくりと吐いた。

「巡礼さま」

一言私を呼んで——その先の声は、もはや震えてはいなかった。

「あなたは、この巡礼の旅で、十分すぎるほど苦しみました。その罪は、私が背負います」

私は息を呑み、俯いた。
ライザを振り向くことは、できなかった。

「馬鹿なことを」
「それこそが、私がここまでお供した意味だと思うのです」
「罪を私ではない誰かに背負わせれば、私は心を悩ませることもなく、ただ晴れやかに誇らしく生きていけるはずだと?」

我ながら、残酷な言葉だった。口にするだけで胸が痛んだ。それでも、言わずにはいられなかった。
私はライザの手を振り払い、彼女を振り向いた。
ライザは蒼白の顔で、涙を湛えた瞳で、それでも私を真っ直ぐに見ていた。

「私を侮るな、ライザ」

私は静かに告げた。

「これも巡礼の使命なら、受け入れるまでだ。生贄の喉を裂く、その刃の振るい手となることを——」

その時だった。
寝室のドアが突然蹴り開けられ、革のマントを翻して、一人の老人が飛び込んできた。
小柄な痩せさらばえた体躯を重たげなマントで覆い隠し、ぎらぎらと刃のように光る狂気の眼だけがフードの陰で光っている。

き、き……

クロスボウの弦を巻き上げるかすかな音が耳に届き、私はとっさにライザをベッドから引きずりおろして床に伏せた。空気を擦るような音が鋭く響き、部屋の梁に太く短い矢がどつっ、と深く突き立つ。明らかに私かライザの頭部を射抜こうと放たれたものだ。

「巡礼さま!?」
「くそっ、何だ、暴徒か!?」

まずいことに、剣をまだ身につけていない。
革のフードの老人のぎらぎらと光る眼が私を見る。その皺に埋もれた歯の乏しい口が引き攣りながら笑う。剥き出しの骨のような指が、次の矢を手早く番える。
私は舌打ちして床を蹴り、飛びかかった。

ダイスロール(Edge)…7,10/成功

私は老人を殴り倒して気絶させ、縛り上げた。
取り上げたクロスボウには、ヴェラリック王の紋章が刻まれていた。

「何事じゃ、騒々しい」

ノルディエの妙に呑気な声に、苛立ちながら顔を上げる。もう身支度は完璧に済ましたようで、ドレス姿に例の豪奢な羽扇を持ったノルディエが廊下に佇み、部屋の惨状と髪もまだぐしゃぐしゃに寝乱れたままの私を冷たい眼差しで眺めていた。
その視線が、ねじ伏せられた老人に留まり、驚愕の表情に変わる。

「……父上、なぜ客人の部屋に?」

ノルディエの父。私はその皮肉に、笑うことすらできなかった。
どんなにその血筋の運命を知り、呪いの空を見上げて全てを諦めようとしても、正気を保つことは難しいだろう。自分の愛する娘を殺し、畜生どもの魂に嬲らせるためにやってきた「巡礼」を目の前にし——「喉を切り裂く」と宣言する、その言葉まで耳にしてしまっては。
誰が責めることができるだろう。誰を責めればいいのだろう。
呪いに覆われた世界は、真っ先に答えを見失うのだ。
私はゆっくりと脱力し、床に座り込んだ。
ノルディエはその状況に次第に理解が追い付いたようで、どこか消耗したように表情を失っていく。その唇が何か呟くように開いた。

「聞くな」

言葉を待たず、私は投げやりに言った。

「私にも、お父上にもな」

魂:9

22日目

イベント…♣のQ/災害。猛毒の霧。

「生贄を捧げたところで、”日蝕”のときに訪れる災厄から逃れられるわけではない……」

私は『劫罰の塔』をノルディエと共に見上げ、確認する様に呟いた。

「だが、この『影の谷』の瘴気はあまりに濃くなりすぎた。ヴェラリックの血を捧げ、切り裂かれた魂を慰撫しなければ、猛毒の瘴気が満ちるこの地を生きて進むことすらできない。巡礼は、ただ篝台への道を進むためだけに、生贄を捧げなければならないのだ」
「分かっておるようじゃの」

退屈そうなあくび交じりで、ノルディエは投げやりに言った。
私は濃灰色の瘴気に閉ざされた『影の谷』を見下ろすように丘の上にそびえる『劫罰の塔』を見上げ、拳を握り締めた。

「瘴気を越える方法は、他に無いのか」
「試すことは許さぬ。わが王国最後の巡礼を失うことになるであろうしの」

私はノルディエを睨みつけた。ノルディエは表情を動かす様子もなく、長い睫毛を冬の蝶のようにゆったりと動かして『劫罰の塔』を見上げている。
こんなことは起きるべきではなかった。こんなことになるべきではなかった。
悪王の血脈は、ただ呪いを鎮めるためだけに保存されていた。それは間違いなく、このアナトリアの未来のためだったのだろうが——そのために、一人の少女が生み出され、そして消える。
私のなすべきことは、本当に、その喉を切り裂くことなのだろうか?

私の視線に気づいたらしいノルディエが、冷たい眼差しを寄越す。

「哀れみなど要らぬ」
「だが……」
「任を全うするまでじゃ。わらわも、きさまもな」

巡礼の任。
生贄の任。
私は唇を噛み締め、『劫罰の塔』へ踏み込んだ。

ダイスロール(Edge)…7,10/成功

塔の頂。
私は刃を振りかざした。
その瞬間——
懐に仕舞っていた『光』の仮面が、突如として眩く輝き始めた。

「これは…?」

ノルディエが呆然と呟く。
私は刃を取り落とし、仮面を掴みだした。

——名付けを終えよ、巡礼よ。

仮面が声なき声で、私に告げた。

魂:9

23日目

イベント…♠の8/敵との遭遇。魂なき暗殺者

影の谷に至るとき——

この仮面に、ふさわしき名を唱えよ。

正しき答えが見出された時、それは唯一なる光となるだろう。

私は思い出していた。エボンズウォーンの神殿で、この儀式用の仮面を手にしたときに聞こえた言葉。
光。闇を照らすもの。影を切り裂き、私を導くもの。
もしそうであるとするならば——

「生贄を捧げる必要はないようだ」

私は呟く。ノルディエがかっと目を見開いて生贄の台から起き上がり、声を荒げる。

「今更、そんな……残酷な希望など!」
「呪いを振り払うために生贄を要する世界より、惨いものなど無いだろうよ」
「言葉遊びを……」

苛立つノルディエから視線を逸らし、私はライザに告げた。

「ライザ、わたしの剣を」

塔を取り巻く瘴気の渦から、黒い影が産み落とされつつある。生贄を求める飢えた魂が、私の裏切りに気づいたのだろう。魂なき暗殺者が次々に塔の頂に現れ、私に襲い掛かる。
わたしはライザから受け取った剣の鞘を払い、高らかに名乗った。

「来い、魂なき暗殺者たちよ。わたしはアグナ、アナトリアの巡礼だ!」

ダイスロール(Steel)…4,8,5/成功

生贄を求める嵐となって襲い掛かる魂なき暗殺者の短刀が、私の剣と切り結ぶ。
刃が散らす火花が紫に輝き、瘴気の霧に閉ざされた塔の屋上に眩く散る。
最後の暗殺者を切り伏せ、私は剣を鞘に納めた。刃に切り裂かれた闇の向こうに、より濃い影に閉ざされた道がある。
それは、犠牲失くしては進めぬ道。悲劇によってもたらされた永遠の断絶をすら絶つ道。呪いの根源へ至る道。

 

“人”は言葉を持ち、”呪い”は言葉を持たぬ。

それを繋ぐのは、唯一、この仮面のみだ。

 

そうだ。
私は苦難に打ち勝ち、言葉を越えて、呪いにすら通じる思いを得て、其処に辿り着くのだ。
私は、巡礼なのだから。

儀式の仮面を手にする。
歪んだ陽光の中、ノルディエの揺れる瞳が私を見つめている。
私は呼吸を整えて、仮面を目の前にかざし、ゆっくりと顔に近づける。

「私を導け、儀式の仮面よ」

高らかに、私は叫んだ。

 

「汝の名は——”痛み”!」

 

人生を剥ぎ取られ、言葉を奪われたエルスの民たちは、無限の苦痛を齎すことでこのアナトリアの大地と繋がり続けた。
それを打ち滅ぼし続け、その呪われた魂に刃を突き立てることで、私はそれに応じ続けた。
呪いを生み出した悪王の血筋すら、生贄としての責を背負い、終わることのない恐怖に人生を壊され続けることになった。
それは呪わしく痛ましいことかもしれない。それでも、我々は確かに繋がっているのだ。
この救いなき世界を巡る、苦痛の円環の中で。

名を得た仮面が輝き、溢れた光が塔の頂上の狭い空間を白く焼いた——

「ああっ」

光が止んだとき、ライザが小さく叫んだ。

「瘴気の霧が——消えた……!」

影の谷を満たす瘴気がゆっくりと薄れ、歪んだ大気の底に隠されていた小径が明瞭に見てとれるようになる。それは蛇行し、丘の起伏に隠れながら、彼方へと確かに繋がっていた。

魂:9

25日目

イベント…♠のK/敵との遭遇。魂なき盗賊

ノルディエはどこか拍子抜けしたように呆然としていた。忌まわしい夜が明け、瘴気の霧の無いただ清らかな朝が訪れた今となっても、まだ魂の一部が戻ってきていないかのようだった。
朝日が照らす篝台への道へ踏み出す私とライザを見送りに出てきたようだが、言葉少なで意味のある会話をする様子もない。
心配そうに様子を伺うライザを片手で制して、私はノルディエのもとに進み出た。

「私は巡礼の任を果たすぞ、ノルディエ・ヴェラリック・アナトリア」
「……」
「それは、きさまの喉を裂くことにはなかった」
「そのようじゃな」

ノルディエはどこか疲れたような声で、ぽつりと言った。

「生贄の任を、わらわは失った」
「失ったのではない。生を得たのだと思うのだ」

私は熱を込めて語り掛ける。
感情の揺らぎがまだ生まれないノルディエの淡い青の瞳を真っ直ぐに見つめ、その華奢な手を、節くれて力強い手でしっかりと掴む。死人のように冷たいノルディエの肌を、私の熱がぬるめていく。

「生を得て、なんとする」
「抗い、戦い、進み続ける。誰もがそうしているように」

淀んでいたノルディエの目がかすかに見開かれ、私を真っ直ぐに見る。
柔らかな薄桃の唇がわずかに震え、泣いているような声を絞り出した。

「惨いな」
「それが、この世界だ」

ノルディエはそのいとけない唇をきゅっと噛み締め、頷いた。そして私の手からするりとすり抜けた手で羽扇を執り、大きく開いて涙の滲む顔を隠すように扇いだ。
放たれる声は初めて出会った時のように、虚栄にまみれて高圧的で、しかしどこか無垢に響き渡った。

「巡礼の騎士よ。おのが任、然と果たせよ。このノルディエ・ヴェラリック・アナトリアが、そなたの勲しの見届け人となろう」
「必ずや」

私はまっすぐに王国の姫を見据えて明瞭に言い切り、ライザを伴って最後の旅路に踏み出した。

 

 

その道は遠かったが、険しいものではなかった。毒を失った風が吹きつけ、澄んだ湖水は乏しい陽光を映してきらめいていた。しぶといヒヨドリが一羽、黄色く枯れた立木に留まって甲高く鳴いている。
拍子抜けするほどに、それは普通の風景だった。

「巡礼さま、あれを」
「篝台……こんなにも分かりやすく……」

私の隣を進むライザが示したのは、小高い丘の上に据えられた無骨な金属製の篝台だった。遠くから目にしただけでも、なぜか分かってしまう——あれこそが、王国の呪いを浄化する「聖なる篝台」だ。見間違えるはずがなかった。
もちろん、今は炎は燃えていない。そこに火を灯すことこそが、私の務めなのだから。

「ついに、ここまで……」

感極まったライザの声に、私は小さく頷いて、その体格の割にしっかりとした働き者の手を握った。

「あと一歩だ。最後まで油断なく」
「はい、巡礼さま」

全身の血が湧きたち、満願成就にむけて活力が漲る。あれに火を灯したとき、私の旅は終わる——

行動…16/犠牲

弦を弾く、長く尾を引くような空気の震え。

どつっ——と、太い鏃が柔い塊に深々と突き立つ音が、はっきりと聞き取れた。

「あ……?」

呆然と声を漏らした私の目の前で、ライザの体が強烈な衝撃に耐えるかのように大きく仰け反り、突然力を失ってぐたりと地に伏した。頑強な革製の鍛冶エプロンを貫いたクロスボウの矢が、短い矢羽根に血潮を吸い上げているのが見えた。
行く手の木立が二度だけ揺れて、雨粒のように黒い影がすたりと降りる。
身のこなしはしなやかで静謐だったが、マントに縫い付けられた鉄片がじゃらりと鳴った。

「馬鹿な子だよ、本当に——」

襲撃者はクロスボウを手放してマントを跳ね上げ、腰の両脇に下げられた二振りの短刀をそれぞれの手に携えた。
鍛えられた刃に、涙のように陽光が滑り落ちる。

「ただ英雄に救われるだけの女の子でいられなかったなんてね」
「イゾルデ……ッ!」

私の喉が、掠れた絶叫を吐き出した。
双刀を携えたイゾルデは薄笑いを浮かべ、次の瞬間には私の視野を振り回すかのような変則的な軌道で地を蹴って眩暈がするほどの素早さで迫ってくる。下から上へ伸びあがる異質な太刀筋を抜き放ったばかりの剣の柄で叩き落とすように防ぎ、曲芸めいた動きでバックステップして隙をカバーするイゾルデの頭を叩き割るように刃を振り下ろす。

鋼が音高く軋み、鋏のように組み合わされた双刀がイゾルデの頭頂に届こうとしていた私の剣を受け止めた。

「なぜ! なぜこんなことを!」
「私は英雄のままでいるんだ。世界が終わるその時まで。何もかも奪われて迎える未来なんか、要らないんだっ!」

悍ましい論理に、魂が焦がれて煙を上げるような心地さえした。

「ライザは、お前を……!」
「そうだよ! ライザは私を捨てて、世界を取ったんだ!」
「狂った理屈を!」
「狂ってるのは、私だけじゃないだろう……!」

力押しで私に勝てるはずがない。イゾルデは脂汗を滲ませて、にやりと笑う。
仕掛けてくる——その敏捷さと狡猾さを生かして、戦況を変える一撃を。

ダイスロール(Edge)…10,10/大成功

(そんな大技を……)

やらせてやる義理はなかった。私は次の瞬間には強烈な前蹴りをイゾルデの胸に叩き込み、吹っ飛ぶ体躯を追いかけて刃を一閃させた。
イゾルデの袖口に仕込まれていた繰り出し機構の槍が、虚しく宙を突いてきらりと光る。
その輝きを追いかけるかのように、イゾルデの喉から噴き出した鮮血が散った。

「あ……ッ、かは、……」

鉄片を縫い付けたマントをじゃらりと鳴らし、地に投げ出されて痙攣するイゾルデに構わず、私はライザに駆け寄った。ライザの体の下には血の水溜りが赤々と広がっていて、その口からは舌が溺れるほどの鮮血が溢れていた。
血の海から引き上げるように、ライザの体を抱き起こす。かつて同じ星を見た、あの強く澄んだ瞳が、光を失いながら私を見上げた。

「ライザっ……!」
「巡礼さま、……イゾルデさんは……」
「倒した……ライザが初撃から庇ってくれなければ、今頃は私が倒れていただろう」

ライザは青ざめた唇を、かすかに緩めて笑みを滲ませた。
私は荒れ狂う感情を抑えられず、息を震わせた。
痛みでしか繋がれないこの世界で、私の剣はなんと無力なことだろう。

血に濡れた冷たいライザの手が、私の頬に触れる。

「もはや、迷うことはありません。篝台へ、お進みください」

震えることも、言いよどむこともなく、ライザははっきりと告げた。
そして、私の頬に触れていた手は力を失い、ぱたりと落ちて赤い地面を撫でた。

魂:9→10

26日目

イベント…ジョーカー/聖なる篝台を見つける

ダイスロール(魂)…7/成功。

最後の篝台に火が灯る。
聖なる炎が空を焦がし、王国を覆う呪いが霧散していく。
私は誇ることも、憂うこともなく、ただ輝きを取り戻す空を見上げていた。

巡礼の旅は終わり、王国は救われた。
私の旅は王国を守り抜いた誉れ高き騎士の英雄伝となり、語り継がれるのかもしれない。

(誉れ……?)

乾いた笑いが漏れた。
王国の闇を、あまりにも多く知ってしまった。自分たちの栄華がどのような犠牲のもとに成り立っていたのか、呪いと呼ばれるものがどれほどの涙と悲嘆のもとに紡がれたものであったか。
もはや私はアナトリアの英雄ではいられない。そう呼ばれることに、私の心は耐えられないだろう。

——これは、誇りの問題なのだ。

旅のどこかで出会った旅人の言葉が、ふと蘇った。
彼女が何を恐れ、何と戦っていたのか、今となっては知るすべもない。
だが、その根本にあったものが、今ならわかる気がした。何もかもを失い、世界そのものを諦めても、拠って立つものが自分の中にあると信じ続ける気持ち。それがなければ、誰だって生きてはいけないのだ。

「誇りのために生きる……騎士としての栄誉でもなく、巡礼としての責務でもなく。ただ、一人のアグナとして」

聖句のように、私は唱え、そして歩き出した。
アナトリアの広い国土も、旅を続ければいずれは果てに辿り着く。
どこまでも歩いて行こう。そう思った。
呪いなき王国を捨てて、誇りという呪いを抱えて。

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