出典
Cryptid Apothecary by Jei D. Marcade
ジャーナル
私は薬師。様々な種族が訪れる交易都市で、小さな薬屋を営んでいる。
私のような、人間以外にも効く薬を取り揃えている薬屋は重宝される。くいっぱぐれはないということだ。
今日も、私の薬を求めて奇妙な客が訪れる。
1人目
♥のJ…夜の種族
ひょろりと細長い二足歩行の生物が、背中を大きく曲げてようやく店のドアをくぐる。顔はのっぺりとしていて真っ黒で、まるでそこに大きな穴が開いているかのようだ。
♠のA…光と緑色に対する極端な感受性
来客は真っ黒でのっぺりとした顔を、ぞろぞろと長く青白い指でかきむしりながらゆらゆらと体を振って悶えている。
「光が痛いんだよお」
すすり泣くような声。どこから聞こえているのだろう。
「それと、緑色……見ると突き刺さるみたいで、痛いんだよお。助けてくれよお」
なるほど、これはなかなか大ごとだ。夜を生きる種族でも、光と緑色から逃れて生きることはできない。
「昨日から、ひどいんだ。昔から明るい場所は苦手だったけど、痛いなんて初めてで……苦手だから避けているだけのうちは幸せだったなあ。見るだけで痛いなんて、不幸だよお。痛くない光なら見てもいいよお」
「よくしゃべりますね」
私は思わずつぶやいた。
必要な素材の数…1/2つ
♦のQ-♣の4…本物の愚者の本物の黄金を、鏡に映した時の反射光
♦の7-♣のA…エクトプラズムの千切り
処方…3/日食のもとで服用
「お客さんは運がいいですよ」
私は錫のツボに押し込んでいたエクトプラズムをずむずむと引っ張り出し、練りけしのように捏ね回し始めた。ツボの中で黒ずんで固形に定着していたエクトプラズムが透き通り、軽くなり、次第に手の中から逃れるように拡散していく。私はそれを完全に取り逃がしてしまう直前でエクトプラズムを揉むのをやめ、片手でナイフを取り出しながら、調薬台の上に置いた。
「日食は来週ですからね」
とととととん、と軽快な音を立ててエクトプラズムを千切りにする。調薬師の地味な下積みの一つにこのナイフさばきがある。磨り潰したり煎じたりするわけではなく、細かく切り刻むことが最適なこともあるのだ。
これはエクトプラズムを千切りにしたことがある人間にしかわからないと思うが、ぐっと刃物を押し込んで切断した瞬間に冷え切った刃がふっと普通の温度に戻る。エクトプラズムを破壊すると負のエネルギーが発生するためだ。
「日食? そんなのがなにになるっていうんだよう」
「薬を飲めるってことです。一発で効く薬をね」
鏡を取り出して置き、金庫に向かう。
薬屋にはいろいろな客が来る。特に本物の愚か者が来たときは、何としてでも金貨をせしめなければならない。「本物の愚者の本物の黄金」の輝きは、様々な効き目があるためだ。
「鏡なんか何にするんだよお……そいつを向けないでくれよ、痛くてたまらないんだから……」
「これを薬に入れるんです」
「鏡を?」
「鏡とは、光の道具ですからね」
手鏡を金貨に翳して、角度をうまく調節しその輝きを千切りのエクトプラズムに照射する。しばらく辛抱強く角度を変えながら浴びせていると、青ざめたエクトプラズムがとろんとした粘り気を帯びて溶け、オレンジ色の軟膏のようになっていった。
私はそれを貝殻に押し込んで、客人に渡した。
「光と緑色過敏症の薬です」
「そ、そんな薬があるなんて」
「作るのは簡単だけど、使うのが大変なんですよ。日食のときに瞼に塗ってください」
「瞼……」
ひょろひょろした手が顔を探ってずりずりと撫でまわし、何かを探し当てたようにぐりぐりと指先で押し撫でる。すると黒い線がさっと走り、水色の瞳が光る大きな目を一つだけパチッと開かせた。
「それでいいです。その瞼に塗ってください」
「普段は使わないんだけどなあ」
「薬の効き目には大事なんですよ」
わたしは自信たっぷりに言った。客は長い首をかしげながら掌をカウンターに置き、ゆっくりと離した。
そこには砂金の山がうずたかく積まれていた。私はいくつかを摘まみ上げて眺め、頷いた。砂金は夜の種族がよく使う通貨だ。偽物を持ち込む奴もいることはいるが、その時は店中のセキュリティが反応する。何より、私の目は確かだからね。
「日食の日を寝過ごさないようにね」
客は首をかしげて長身をグリングリンと揺らしながら、店を出て行った。
2人目
新たな客がドアをくぐる。今度もやたら大きな体だ。のそのそとうつむいて店内にその体をねじ込んでくる。
♥の7…サスカッチ。毛むくじゃらの類人猿。ちょっと内気。
「お、おら……」
作りが美しくはなくても、普通の目と鼻と口がついている客の顔はそれだけで安心するものだ。私は後片付けをして席に着き、できるだけ穏やかに見えるように頷いた。
サスカッチは雪山に住む善良な知的種族だが、やたら内向的でマイナス思考な傾向がある。変な落ち込ませたら話がしづらくなる、というのはよくある場面だ。
客はのそのそと歩み寄り、やたら広い背中を丸めた。
♠のQ…寝ている間に家具が配置換えする
「おらが寝てるときに、家具が勝手に動くだ……最初は気のせいだと思ってたけど、きっとこれはたたりだって言われて……」
「うちは祓い屋じゃないんですがね」
「……」
サスカッチの目に涙がたまる。危ない、と思って私は慌てて手を振った。
「とはいえ、だからこそ私のもとに来たのは正解でしたね。これは病気です、祟りじゃない」
「えっ、そうだか?」
「妖精憑きの症状です。眠っていて宿主の意識が薄れると悪さをする。魔力の流れを調節すれば自然と消えるでしょう」
私は自信にあふれた調子でゆっくりと言い切り、立ち上がった。
必要な素材の数…4/3つ
♦の5-♣のJ…ピグミーヤギの体重と同じだけの黒ラン
私が花屋に行って帰ってくるまでの短からぬ時間を、サスカッチはずっと店内で仁王立ちして待っていたようだ。マジかよ、客逃げるだろ。
とにかく私は荷車を止めて、荷車に山ほど積まれた濃紫の花弁の蘭を店内に運び込んだ。花の香りは甘すぎて、これだけの量があるとくらくらする。
「は、花なんか何に使うだか?」
「これだけの量を煮詰めないと、成分がそろわないんですよ」
淡々と説明しながら私はコルドロンに蘭を投げ込んでぎゅうぎゅう押し込み、火を焚いた。蘭が焦げ付かないように長い棒でぐるーりぐるーりと掻きまわしながら、説明する。
「ピグミーヤギの体重と同じだけの量。これは薬学におけるれっきとした単位でして……でも、お花をこれで測ることは珍しいんですが」
「うう、暑いだ……」
「我慢です」
私はぴしゃりと言って、コルドロンをかき回し続けた。
♦のK-♣のK…虹色ハチミツ
釜の底には黒ランのエキスが少しだけ溜まっている。美しい漆黒の、ちょっとだけとろみがあって揺れる液体だ。私はそれをツボに移し、さらにとっておきの虹色ハチミツを加えて混ぜる。
こんなことをしたら、虹色に輝く美しいハチミツの色が台無しになってしまうって? それがそうでもないんだな。
虹色ハチミツが黒ランのエキスと混ざり合って、その色がゆっくり陰っていく。それとともに深みを増して、不思議な輝きを帯びる。黒曜石に映った夢の景色のような、暗くも不思議な色合いがツボの中で出来上がっていく。
♦の4-♣の10…よく炒ったアダー・ストーン
私はそれを、鉄鍋で熱していた魔女の石のさざれ石に勢いよくぶちまけた。
「わあ! そ、それ、石じゃねえのかあ」
「石ですよ」
さざれ石は鍋の中で熱されながら転がってじゃんじゃらじゃんじゃらと喧しく鳴る。私は手首のスナップを利かせて鍋を勢い良く振り、黒ランハチミツをその一つ一つに万遍なくまぶした。
ハチミツは煮詰められた黒ランの魔素によってさざれ石と融合し、結合する。ほぼガラスの粒無のような見た目だったさざれ石の一つ一つに、ハチミツの不思議な色合いがぴちりと固着して再結晶化していった。
「よし、出来上がり。粗熱が取れてきましたから、ちょっと触ってみてください」
「あ、ああ……ハチミツまみれなのに、べたべたしてねえなあ」
客は不思議そうにまだ温かい魔女の石を手に取り、その色をしげしげと眺めていた。
処方…7/枕の下に置いて9回眠る
私はさざれ石を袋に詰めて、口をぴったりと縫った。袋は大きく余裕があり、薄く平らに伸ばせる。
「こうすることで、悪い魔力の高まりを穏やかに落ち着けていきます。これを枕の下に敷いて、9回眠ってください」
「石がじゃりじゃりしねえかなあ」
「そんなことはないし、そうだとしても我慢なさい」
少し強めに言い切る。サスカッチはすごすごと背を丸め、金貨の袋を代金に置いて行った。
ジャーナルの中断
薬師はなかなか楽しい仕事だ。鍋を何時間もかき回すのを誰かがやってくれれば、もっといいんだけどね。
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