「Lineage Epoch Edition」というソロジャーナルゲームの続きです。
このゲームは、歴史家となって王家の家系図を書くソロジャーナルです。
プレイログをお読みいただく前に、以下の点についてご了承ください。
・英語で書かれているため、DeepL翻訳を使いながらプレイしています。誤訳や表記ゆれなどがある場合があります。
・一部Lineage Epoch Editionにはない要素が含まれています(年齢や統治期間など)。こちらはchatGPTを参考にtakaponが勝手に設定させていただきました。
・前回のプレイログの続きになります。前回はこちらをご覧ください。
2.聖女王ソフィア(Sofia the Saint)
アルドレイア歴25年、テオドリック王の突然の死から速やかに2代目の王の即位式が行われた。
兄弟姉妹の支持を受け、即位したのは五女にあたるソフィア。
即位時、彼女はわずか14歳。1年の摂政期間を経て15歳で成人し、若き女王ソフィアとしての物語が始まる。
・称号:52/聖女王
ソフィア女王は後世に聖なる女王として、歴史にその名を残すことになった。
1つや2つの業績だけで彼女が聖女王と名付けられたわけではない。
ソフィア女王の神秘さ、黄金時代への導き、そしてアルドレイア王国への献身が、彼女を聖なる存在へと導いたのだ。
アルドレイア王国では相続に性別が限定されることはなく、これ以降も当たり前のように女王が誕生しているのはソフィア女王が大きな功績を残したことによるものが大きい。
その功績を今から語るとしよう。
・配偶者:24/才能ある芸術家
ソフィア女王は治世になれた19歳の時に結婚した。
彼女の選んだ配偶者は他国の王族や貴族ではなく、爵位を何も持たない、一般市民だった。
その男の名はアルベルト。もとはアルドレイア王家お抱えの彫刻師にすぎなかった男である。
だが、その腕前で貴族を感動させるほど美しい彫刻作品をいくつも作り上げ、ソフィア女王もまたその美しさに惹かれてしまった。
アルベルトのおかげで彫刻に興味を持ち、交流していくうちに2人の中は深まり、ついに結婚へと至った。
王族が一般市民と結婚することは諸外国にとっては衝撃だったが、先代のテオドリック王の配偶者もそうであったことから、この結婚は国内では、ソフィア女王が血筋で人を選ばない公平さの象徴として歓迎されることとなった。
・後継者:2人(8人誕生、6人死亡)
ソフィア女王とアルベルトは生涯で女子3人、男子5人、合計8人の子をもうける家族となった。
そのうち6人は死亡・または継承権を失ったが、ソフィア女王の治世の終わりには
1人目の子供である長女、エレナ
3人目の子供である次男、ジュリアン
の2人が後継者候補となった。
・歴史的な出来事:3つ
ソフィア女王が在位中、アルドレイア王国では、主に3つの大きな出来事があった。
・1つ目の出来事.62:紋章となる動物との邂逅
ソフィア女王の治世のある日、彼女は森の散策中に1匹の鷹を目にした。
その鷹は真っ白な毛をした雄大な鷹であり、この白鷹のあまりの威厳と美しさにソフィア女王は魅了され、しばらく白鷹を目で追っていた。
白鷹はそれが分かったかのようにソフィア女王の近くへと飛んできて、彼女と目を合わせたという。
この出来事に感動したソフィア女王は、自らの王家の紋章に白い鷹を入れることを決定した。
アルドレイア王国で最も有名な御伽噺「女王の白き鷹」はここから誕生した。
白鷹と聖なる女王の美しさは今でも我々を魅了し続けている。
・2つ目の出来事.33:商人の資金提供要請
ソフィア女王は遠い国から様々な交易品を輸入したことで知られている。
この時代、安寧を享受していたアルドレイア王国の商人たちは遠隔地との交易路を開拓するべく、王家へ資金提供を要請していた。
ソフィア女王はこの提案を積極的に受諾し、新たな交易路の開拓に力を注いだ。
失敗した商人も多かったが、この交易路の開拓によって、異国の装飾品や高級品が多数もたらされるようになった。
特にソフィア女王はその中でも象牙で作られた芸術品をたいそう気に入ったという。
…この交易路の開拓には、王国の繁栄を願っただけでなく、女王の個人的な興味もあったのだろう、と私は思っている。
・3つ目の出来事.:45/連続した豊かな収穫期(黄金時代への移行)
ソフィア女王の治世において、アルドレイア王国は何年も連続して豊作を迎えることになり、国内は大きく発展した。
前述の新たな交易路の開拓に多大な資金が出せたのも、この豊作により、国庫が潤ったことによるものが大きい。
ソフィア女王は豊かな収穫がもたらした資金を主に芸術家への投資へと使った。
これにより、アルドレイア王国の文化が花開き、急速に発展していくことになる。
アルドレイア王国の美術館に展示されている作品にはこの時代に作られたものが多い。
ここから数年、アルドレイア王国は黄金時代を迎えることになる。
これもまた、ソフィア女王が、聖女王と呼ばれた一因となるだろう。
・死因:16/処刑された
ソフィア女王の治世によって、アルドレイア王国には多くの繁栄と発展をもたらしたが、アルドレイア歴45年、王国を揺るがす国難が発生する。
アルドレイア王国と国境を接する隣国、ドラベニア王国がアルドレイア王国へと圧力をかけて来たのだ。
ドラベニア王国はアルドレイア王国との国境線近くで兵がが死傷したと主張。ドラベニア王国はアルドレイア王国の攻撃と断定し、正規軍をアルドレイア王国の国内へと進軍させた。
実際にはそのような争いは発生しておらず、これはドラベニア王国がアルドレイア王国の富を奪いつくす口実にするための自作自演であったことが後に判明している。
だが、当時は調査にかける時間はなく、仮に調査されてもアルドレイア側の主張が認められる保証はなかった。
さらに、ドラベニア王国の軍事的はアルドレイア王国よりも強大であり、全面戦争になればアルドレイア王国の劣勢であることは明らかであった。
この一大事に対し、ソフィア女王はドラベニア王国に対し、王家の財産を貢物として捧げることで公式に謝罪すると決定した。
事実上の降伏である。
ドラベニア王国はもともと財産目当てで侵略を考えていたこともあり、この謝罪は受け入れられ、戦争は回避された。
しかし、これだけでは終わらなかった。
貢物を供するために直接ドラベニア王国に赴いたソフィア女王を、ドラベニア王国は軟禁。
ソフィア女王の返還にも身代金を要求した。この額は一国の王が戦争によって捕虜となった際に要求される莫大な金額であった。
この身代金までを払うほどの余裕はさすがのアルドレイア王国にもなく、またこの要求をのめば弱腰外交として貴族や国民から非難される恐れもあった。
かといって、女王を敵国に軟禁したまま放置するわけにもいかない。
残された王家たちによって対応が協議されていた矢先。ソフィア女王が処刑されたという知らせが届いた。
“軟禁されていた屋敷から幾度も脱走を企て、失敗し捕らえられたため”であった。
これは、ソフィア女王が身代金、つまりはアルドレイアの民の血税と引き換えに釈放されることを拒否した、というメッセージとしてアルドレイア王国に伝わった。
この時、ソフィア女王はわずか34歳。
王家の名誉と財産を失い、歴史書に敗北を刻まれ、自らの命を犠牲にしてまで国を救った。
ソフィア女王のことが聖女王(The Saint)と呼ばれるようになった所以である。
これほど模範となるにふさわしい聖人が他のどこにいるというのだろうか?
ソフィア女王の死後、新たな女王の座は長女エレナへ。
名誉ある王家の顧問、監護者の座は次男ジュリアンへと受け継がれた。
「私は敗北しました。しかし、民の命はまだ現世にあります」
Sofia the Saint(アルドレイア歴25~45年)
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